現存天守としては最も古いものです。昭和30年に元の用材を使い
修復されなかなか古風な感じが致します、
内部はまた急勾配の階段でこれじゃ昇り降りが大変だ〜最上階の眺めはイマイチですが、
でも城廻は400本の桜が植えられ日本の桜の名所100選に選ばれている、
みのやんが訪城した時はボンボリを飾りつけている最中でした。
桜の花はまだまだの様な気がしましたが
今頃から準備をしないといけないかもね… このお城の築城は
明治4年に廃藩置県により天守を除き他の建物は取り壊さた。
略史
天正十四年(1576) 柴田勝家は甥の勝豊を豊原に分封して
豊原城主としたが山城の不便さから丸岡城を築城した
天正十年(1582) 本能寺の変で信長が倒れると「清洲会議」の結果勝豊が
長浜城主に替わって安井家清が丸岡城主となる
天正11年(1583)
賤ヶ岳の合戦を皮切りに秀吉によって柴田家は断絶
青山修理亮が丸岡城主となる
慶長五年(1600) 関ヶ原合戦では青山二代目青山忠元は西軍に付き
所領没収その後今村氏・本多氏、本多氏の四代重益の時お家騒動で没収。
元禄八年(1695) 本多氏に替わり越後糸魚川より有馬清純が5万石で入封
以後有馬氏八代の居城となり明治維新を迎えた
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