城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
                  
  赤館城 (あかかんじょう) 




赤館城 

赤館城 

 
 福島県棚倉町棚倉字城跡    2009/07/17  訪城

 
  赤館城 


 車で簡単に城跡まで来れますが、道路を走っていると赤館城跡の小さな看板が

 車から見え道路脇も城跡らしき雰囲気でした。

 現状は赤館公園となっています、山頂が主郭ですが遺構の興味をお持ちの方はこの城跡では

 不満かも…遺構が解りずらいです。

 鎌倉初期この赤館は伊達氏の飛び地でした。南北朝以降:白川結城氏の直轄領地となった。  

  略史 (現地説明板より)

 永正十年(1510)   佐竹氏白川結城氏の依上を支配し、やがて羽黒館、東館、

              流館など赤館以南の九南郷館を支配した。

 元亀二年(1571)   白川義親は南郷の領土奪回に出て南郷一で激戦となった。

                               これは好機と小田原北条氏が佐竹家巨の下妻城を攻めた
             
              佐竹氏は赤館を放棄する和睦を結び南転した。

 天正三年(1575)   佐竹氏は前年に続き赤館を攻めたが、蘆品:結城連合軍が撃退する。

 天正十八年(1590) 伊達政宗は分国を挟むことなくこの赤館で佐竹氏と対崎したが、

                               同年秀吉の奥州仕置で白川結城氏は消減し、

              柵倉は佐竹領地と公認された。徳川の天下になると、

              佐竹は秋田に追れ柵倉は天領となる。

 慶長十四年(1609) 立花宗重が五万石で赤館城主となり、

              元和八年(1622)丹羽長重が五万石で入封し、

                                現在の平地城を築城しはじめ

              以降の赤館は廃棄された。長重は白河十万石ひ転封となった。

 寛永四年(1627)   内藤信照が五万石で柵倉城となると築城と同時に、

              城下町特有の町形につくり、

                               検断や名主を置き経済の中心とした

 


  

築城年 

 

築城者 

赤館 

歴代

赤館、上遠野、
   結城、立花
 

形式 

台城 

遺構 曲輪、土塁、空堀

 

現状 赤館公園

 

ご案内 

城跡の地図 

無料駐車場有り  

 


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