貞和年間(1345)頃、赤松貞範が築城したと
いわれる。嘉吉の乱で、赤松氏滅亡となり一旦
落城したが、赤松政則が赤松再興を果たした際、
篠の丸城北方の長水城に赤松一族の宇野氏
を入れ、篠の丸城も復興した。
天文7年(1538)、出雲尼子氏の播磨侵攻の際、
篠の丸城は長水城と共に落城した。
尼子氏は2年間支配したが、その後宇野氏が
復活した。天正8年(1580)、織田信長の命を
受けた羽柴秀吉が播磨へ攻め入った際、
篠の丸城を落とし、秀吉から山崎の地を預かった
黒田官兵衛孝高は、この城を本拠とした。
秀吉の九州平定後、孝高は豊前中津に移封となり、代わりに龍野城から
木下勝俊が入封したが、平地に山崎城を築いたため、篠の丸城は廃城となった。 |