天正十九年(1591)毛利輝元が築城した。 慶長五年(1600) 関ヶ原の戦いの総大将であった、輝元は萩に転封され、替わって福島正則が 尾張清洲から四十九万国で入る。正則は毛利を意識して六支城を築き 元和三年(1617) 大洪水で広島城が被害を受け、 元和五年(1619) 幕府の許可が下りないまま、石垣等修復を行ったため、 正則は改易となり、替わって浅野長晟が和歌山から入封し以後十一代続き明治維新を迎える。
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