尼崎城(あまがさきじょう)
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兵庫県尼崎市尼崎北城内
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別称 大物城 2009/03/21
訪城 |
尼崎城は現在は遺構等は何も有りませんが、模擬石垣、模擬城壁が作られ城跡の雰囲気造りはしてあります。
城壁の奥は図書館になっており、図書館で尼崎城の史料をコピーして頂き、
それを参考に近場を歩いて見ました。現在は明城小学校が本丸の跡らしく見学するもの無く、
三十分程で引き上げました。
略史
永正十六年(1519) 細川高國が柵や土塁、石垣で砦を築いたのが始まりです。
高國細川家の内紛で細川晴元に破れ自害した。これが大物崩れと言われています。
その後は摂津伊丹城主荒木村重の支城となる。
天正六年(1578) 荒木村重は信長に反旗を翻したが破れ、備後の毛利氏を頼り落ち延びた。
その後は豊臣時代となると建部高光が五百石で郡代となる、
元和元年(1615) 大阪の陣で高光の孫:建部政長は徳川に味方したため、
大阪落城後は一万石の尼崎藩主となり尼崎城築城奉行となる。
元和二年(1616) 建部政長は年少の理由で播磨林田に転封、替わって
元和三年(1617) 膳所城より戸田氏鉄(うじかね)が五万石で入封。
荒廃していた尼崎城を近代城郭に築き上げた。戸田氏は十八年間在城したが
美濃大垣城に転封、その後は青山氏四代を経て
正徳元年(1711) 遠州掛川から松平(桜井)忠喬が四万石で入封、以後松平七代で明治維新を迎える。
築城年 |
元和3年(1617) |
築者
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戸田氏鉄 |
歴代城主 |
戸田、青山、松平 |
形式 |
平城 |
遺構 |
模擬石垣、模擬城壁、
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現状の形態 |
明城小学校 公園
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ご案内 |
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駐車場有り |
再建された尼崎城
家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮氏は
創業の地に恩返しがしたいと考え、12億円の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈した.
2015年(平成27年)11月25日付で
尼崎城址公園内に築かれることとなった。
内装は市外寄付金(1億) 国助成金(1億)で2019年完成し開城しました。
(今回の散歩は二時間は歩きました。もう〜歳には勝てませんね〜)
2023年3月29日訪城
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