石田城と同様、最後期の日本式城郭である。北海道内で唯一つの日本式城郭である。
戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す旧幕府の軍
(元新選組の土方歳三が率いていた)との戦いにおいて落城した
搦め手二の門
15世紀半ば頃、松前には大館(おおだて)と呼ぶ居館があったが、
後に松前 氏を名乗った蠣崎(かきざき)氏がこの地に居住し徳山館と名づけ、
松前家5世慶広(よしひろ)が慶長5年(1600)に現城跡に
大規模な館を造り「福山館(ふくやまだて)」と称した
本丸御門
松前藩初代藩主松前慶広が慶長11年(1606)福山城として築いた。
◎松前慶広(1548-1616)信広ののち五代慶広に至り独立し、
松前を名のる。秀吉・家康に謁し、近世大名としての松前藩の基礎を築く。
子孫が代々城主となるが文化4年(1807)から14年間は幕府が直轄し、
その間藩主章広は奥州梁川に移封された。
文政4年(1821)復領する。嘉永2年(1849)崇広のとき幕府が新城の構築を命じ、
安政元年(1854)完成。明治元年(1868)旧幕軍が占拠するが翌年新政府軍が奪回。
天守閣が昭和24年まであったが焼失、同36年復興された。城門は往時のものである。
(内部は松前藩に関する文化財と、アイヌ民族資料を展示する資料館になっている)
北海道松前郡松前町松城144
搦め手二の門
城年 慶長11年(1606) |
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築城者 |
松前崇広 |
歴代城主 松松前氏氏 |
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形式 |
平山城 |
遺構, 本丸御門、御殿玄関,石垣,土塁,堀 |
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現状 |
松前城資料館 |
ご案内 |
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駐車場 |
無料駐車場有り |

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