松前城 

 
 北海道渡島総合振興局管内松前町       2016/07/24    訪城
 

 福山城

 

        石田城と同様、最後期の日本式城郭である。北海道内で唯一つの日本式城郭である。

          戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す旧幕府の軍

           (元新選組の土方歳三が率いていた)との戦いにおいて落城した

     
                                              搦め手二の門

     15世紀半ば頃、松前には大館(おおだて)と呼ぶ居館があったが、

後に松前   氏を名乗った蠣崎(かきざき)氏がこの地に居住し徳山館と名づけ、

               松前家5世慶広(よしひろ)が慶長5年(1600)に現城跡に

               大規模な館を造り「福山館(ふくやまだて)」と称した

 
                                                                                    本丸御門    

    松前藩初代藩主松前慶広が慶長11年(1606)福山城として築いた。

     ◎松前慶広(1548-1616)信広ののち五代慶広に至り独立し、

      松前を名のる。秀吉・家康に謁し、近世大名としての松前藩の基礎を築く。

  子孫が代々城主となるが文化4年(1807)から14年間は幕府が直轄し、

          その間藩主章広は奥州梁川に移封された。
 
  文政4年(1821)復領する。嘉永2年(1849)崇広のとき幕府が新城の構築を命じ、

  安政元年(1854)完成。明治元年(1868)旧幕軍が占拠するが翌年新政府軍が奪回。

  天守閣が昭和24年まであったが焼失、同36年復興された。城門は往時のものである。

  (内部は松前藩に関する文化財と、アイヌ民族資料を展示する資料館になっている)

                                 北海道松前郡松前町松城144        

                                          搦め手二の門     
 


 

     
城年  慶長11年(1606)  築城者  松前崇広 歴代城主 松前氏 形式  平山城 
遺構,  本丸御門、御殿玄関,石垣,土塁,堀    現状  松前城資料館  案内     駐車場  無料駐車場有り 

 
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