城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
                  
  勝山館(かつやまかん) 



  勝山館   
 北海道檜山郡上ノ国町勝山     訪問  2016/07/24
 

 







 


     



史跡公園として復元整備されています。搦手へ行く途中、墳墓群があります。

           搦手門の手前に堀があり、

   ここから館内が綺麗に復元整備されており、あちこちで礎石が見る事ができ、

   案内表示が行き届いていて分かりやすいです。大手に向かって下りの傾斜となり、

   海も見渡せて気持ちよく、大手下から見上げると、柵や堀がカッコいいです。

   西方にあるゴミ捨て場・土葬墓群、水場(樋・井戸)も見応えは充分!
 




   


 






館の築造年代は明らかでないが、館奥に祀られている館神八幡宮は文明5年(1473)建立であるため、

   15世紀後半に築かれたと思われる。松前大館(徳山館)に移った蠣崎氏は花沢館を廃し、

       同族を勝山に配して蝦夷地和人居住地の北西端を守る本拠とした。

          勝山館の成立により花沢洲崎の2館は廃され、

      永正元年(1504)にはこの勝山から北西14kmにある泊に館が築かれ、

             2代義広の子・高広が館主となり、

           高広が勝山館守護となった。高広没後、子・基広が継いだが、

               基広は館守護の地位に不満で天文17年(1548)

             4代季広を毒殺しようとしたが発覚して誅され、その後、

            天文21年(1552)まで勝山館には城代を配置した。近世初頭、

              上ノ国は鮭と木材生産地として和人の定住者が多く、

               この勝山館を番所として利用したと思われる。しかし、

    延宝6年(1678)檜山番所は交通の便の良い江差に移り、勝山館は廃されたと思われる。

                   (『日本城郭大系 1』参照)  

     



   


 


 



松前藩の礎を築いた武田信廣によって築かれ、

     15世紀後半〜16世紀にかけて軍事・政治・北方交易の拠点として繁栄した山城。
 


城年 15世紀後半 築城者  武田信廣 歴代城主 蠣崎氏 形式  山城 
遺構 曲輪、土塁、空堀、井戸   現状  史跡公園 案内   駐車場  無料駐車場有り 

 



     夷王山神社   
                             
   
   
                
  
  和人とアイヌ民族の埋葬群
   
  
 

 


 




夷王山には、地表面をマウンド状に土を盛った600基以上の勝山館の和人と
        アイヌ民族を埋葬した墳墓が点在している。
 



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