城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)



 


  丸亀城(まるかめじょう)


                                                                                                   
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丸亀城   
         香川県丸亀市一番    2007/7/20   /    2012/08/15  訪城

 

丸亀城は現存天守八城(高知城 宇和島城 松山城 亀城 

備中松山城 松江城 丸岡城 弘前城)の一つである、

全て国の重要文化財です 姫路城 犬山城 松本城 彦根城は国宝 

日本の天守は十二城です。丸亀城は一番小さいな

天守ですが城を囲む内堀があり 堀を沿って一周歩くと丸亀城の全容が解ります 

内堀に架けられた石 橋を渡ると大手二門続いて櫓門の大手一の門です 城内に入ると

藩主屋敷跡は現在芝生広場で子供達がボールを追いかけ遊んでいました

子供は元気が一番。
  

 

 
 

 本丸跡には見返坂この坂を登って行くと三の丸跡の高石垣がありあっぱれなり

本丸跡に 建つ三層の天守の壁の白黒のコントラストが良い 

本丸跡からは瀬戸内海や瀬戸大橋展望できみのやんは大満足!




 

略史  

慶長二年(1597)    生駒親正が六年かかりで亀山山上に築城した

元和元年(1615)    一国一城令により破却 の運命にあったが、

廃城と見せかけ樹木を植え隠し立入禁止して次に備えた

寛永十七年(1640)  藩政の乱れから 

この生駒氏四代の高俊の時出羽矢島に左遷され         

寛永十八年(1641)  天草富岡から山崎家治が入封

 山崎氏も三代続いたが世継ぎが無く断絶          

万治元年(1658)    播州龍野から京極高和が入封 

以後京極氏七代の居城として明治維新を迎える

                   
 
丸亀市観光情報:観光スポット・丸亀城
 



 
   
   


 

 丸亀城は丸五年振りの訪城で、私はなざか初訪城のように気持ちは昂ぶり、

足が地に着かず浮だっていました。

それは…丸五年の空白と歳のせいだっと最近やっときずき、

主たる現役から遠のき早三年が経ち、

気持ちと体力と脳活動がみなバラバラで 

若い時の様にコントロールが効かせない

初老の姿がシミジミ感じる旅でした2012/08再訪問
 




 
 
                                 ほんに小さな天守内部です。



 


豆知識  

天守の起源は城主の館が発達し「殿主」「殿守」からと

井楼櫓が発達したもと二通りと思われる、

本格的に天守を築いたのが   

松永弾正の多聞城でそれから織田信長の安土城と引き継がれたと思われる。 

 
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城年代  慶長2(1597)  築城者  生駒親正 歴代城主  生駒、山崎、京極   形式  平平城 
遺構  現存天守、門 石垣
 井戸 曲輪等多数 
現状  亀山公園  ご案内   城跡の地図 駐車場  無料車場有り 

      

 
                                        


               
                                                           

 
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