長宗我部元親は土佐を本拠として四国全土を統一したが、
天正十三年(1585)豊臣秀吉による四国征伐で土佐一国に押し込められる、桂浜に浦戸城を築いたしかし
慶長五年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に味方した長宗部元親は除封さ替わって
戦功のあった山内一豊が掛川から土佐一国24万石を与えられ、浦城に入城した
慶長六年(1601)から大高坂山に新城主として権威を示すため新たな城を築いた
慶長八年(1603)本丸、二の丸が完成し、高知城に移るが、築城工事は続き
慶長十六年(1611)二代藩主忠義の時三の丸も完成
享禄十二年(1727)火災でほぼ全焼し再建工事が始まる
寛永元年(1748)天守、櫓、城門等が完成(現在の天守はこの時もの)
高知城は山内氏十六代の居城として明治を迎える 。
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