城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)


熊本城本丸御殿

八代城 

復元天守閣 
     熊本県八代市松江城町字北の丸町           2014/07/26   訪城
   

別称

不夜城

熊本城石垣群

       別称   不知火城                 八代宮(本丸跡)
  
  八代宮

           後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、

     懐良親王没後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。

                     建武中興十五社の一社である。境内地は、八代城本丸跡で県指定史跡。


     



肥後国は、薩摩島津氏への押さえのため、

元和元年(1615)一国一城令公布後も本城以外に

麦島城の存続が認められていた。

元和5年、麦島城が大地震により甚大な被害を受けたため、

熊本城主・加藤忠広は麦島城を廃して新城築城に着手し、

元和8年八代城が完成した。

寛永9年(1632)、加藤忠広が改易となり豊前小倉から

細川忠利が52万石で熊本城に入ると、隠居した父・細川忠興は豊前中津から八代に入城した。

正保2年(1645)忠興没後、熊本藩主細
川光尚は、筆頭家老松井興長を八代城主とした。

以後、松井氏が八代3万石を領し、明治を迎えた。 
 




熊本城堀   

  明治3年8月2日熊本藩は松井盈之の八代城守衛を免じ、同4年11月八代県庁を本丸に置くが、

    同6年1月白川県に合併。廃城後、建物は大書院を除き取り壊される。大書院は代城校という学校に使用された
      。


    

築城年  元和8(1622 元号一覧 築城者  加藤忠広  歴代城主  加藤 形式  平城 
遺構等  曲輪、石垣、水堀 現状  城跡公園  ご案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 

                            

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