|
国宝 松本城 |
 |
長野県松本市丸の内 |
 |
別称 深志城
|
|
2007/6/28 訪城 |
|
松本城は現在は史跡公園として整備されておれます。五層六階の天守は現存する物として日本では一番古いものと言われ
国宝に指定されています。内部の木造建築は戦国時代にタイムスリップした感が致します矢狭間、鉄狭間を見れば
その雰囲気がじんわり伝わってきます、四階の御座所は有事のとき城主の居所として設けられたものです。
このお城は最上階の窓が小さく武備の城してとの実感がよく解ります。窓から眺めると北アルプス、美ヶ原等晴れた日には
山々が目にしみて美しく見えます。松本城は昭和、平成とかけて大手門、太鼓門、黒門等を復元し更に風格を高めました。
また堀の外から見上げる松本城は偉大です、お城は見る角度が少し違うと姿形がその都度変わり、面白い建築物です。
みのやんを充分楽しませてくれました。!
永正元年(1504) この地で勢力を誇った小笠原貞朝が居城として永正元年築城した
深芯城と呼ばれています。
天文十九年(1550)
武田信玄が時の城主小笠原長時を追放して信濃への進出の拠点とした。
天正十年(1582)
武田氏は断絶し、また本能寺の変後の混乱に生じて小笠原貞康(長時の子)がこの城を奪回した。
天正十八年(1590)
秀吉の時代になると松本城と改名され石川数正が入城した
数正の死後その意志を継ぎ子の康長が天守を完成させた。
完成は慶長二年(1597)と言われている)
慶長十八年(1613) 徳川時代になると石川康長は改易され小笠原秀正が再び
城主に返り咲く。二代目の忠真(ただざね)が明石に移封
されその後は戸田、松平、堀田、水野氏へ交替した。
享保十年(1725) 志摩鳥羽より戸田光慈(みつちか)が入城、以後戸田氏九代
の居城として明治維新を迎える。 城跡の地図
城は見るだけ…歩くだけ!の信条に徹してたか、
帰宅後松本城の写真を眺めて見るとイマイチ気に入らず…
松本城の外観の美しさにほんどうされた如く、
外観の写真ばっかりでした。
これもみのやんのマヌケサの良い所…
城は二回も見て周り、しっかり歩いた事だし…
楽しい松本城でした。
2007/6/28
訪城 |
日本100名城HOME 日本100名城(甲信越地区)へ
|
|