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長野県長野市松代町松代殿町 |
別称 海津城 2007/6/23
訪城 |
松代城跡は平成七年から太鼓門、北不明門、木橋等の復元工事を開始、他に堀、石垣等も整備され
平成十六年に完成しました、少し変わった門として石垣と石垣間に建てられた独立した門でした。
門の内部は広い広場になっております。これから先、新たに何か復元してほしい気持ちです、
真田邸が昔のままの姿で残っている
筈ですが、みのやんが行った時は修復工事で何も見ることは出来ませんでした。
永禄三年(1560) 武田信玄が北信濃に侵出して築いたと言われています、戦国時代は海津城と呼ばれていました。
天正十年(1582) 信玄の跡を継いだ勝頼が信長に滅ぼされ、信長の配下の森長可(ながよし)が入城。
同年6月本能寺の変で
信長が討れると森長可は城を放棄した。海津城は越後春日山城主上杉景勝が支配する事となる。
慶長三年(1598) 秀吉によって上杉景勝は会津に移封され替わって田丸直昌が入城
慶長五年(1600) 家康の時代に入ると森長可の弟森忠政が入城
慶長八年(1603) 忠政は美作津山に移封され後、家康の六男の松平忠輝が入城
元和二年(1616) 大阪の陣で不手際があった松平忠輝は改易、
替わって家康の孫に当る松平忠昌が入城その後酒井忠勝が城主となる。
元和八年(1622) 真田信之(幸村の兄)が上田城から入城 以後真田氏10代の居城として明治維新を迎える
正徳元年(1711) 真田氏三代の幸道の時松代城と改名された。
築城城年 |
永禄3年(1560) |
築城者 |
武田信玄 |
歴代城主 |
武田、真田 |
形式 |
平城 |
遺構 |
輪、石垣、堀、
土塁、復元門、復元櫓 |
現状 |
海津城跡公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
無料駐車場有り |
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