城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)




 
  上田城うえだじょう
                                                                                                   
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上田城  上田城跡 
      長野県上田市二の丸 
            
    別称 尼ヶ淵城  2007/6/23  訪城

                 

      別称 伊勢崎城、真田城、松尾城


  上田城は本丸の東側と西側に堀が残っており堀の隅をゆっくり散歩するには絶好の城跡です。この北櫓と南櫓、

  西櫓が現在建っています、目につくのは虎口櫓門とその  両端に建つ北櫓南櫓には目を奪われます、
 
  二層櫓でなかなか姿形がみのやんのお気に入りです、この城は真田昌幸が天正十一年から着工し十三年(1585)に完成。
  
  関ヶ原の合戦では、東方に味方した長男信之に与えられた、真田信之は所領は引き継いだが。新たに 城を築ことなく、

  三の丸に屋敷を構え藩政を行った。(西軍に味方した真田昌幸、幸村は紀州九段山に蟄居を命じられる)                                                      
                                                                                                             
  元和八年(1622)  真田信之は松代城に移封し、替わって仙石忠政が6万石で入城     
                                                       
  寛永三年(1626)  仙石忠政は幕府の許可を得て上田城の再建にあたる。現在の遺構はこの時のものです。                              

  宝永三年(1706)  仙石3代目の政明が但馬出石に移封、替わって松平忠周(ただちか)が出石より5万8千石で入城,以後

                松平七代の居城として明治維新を迎える。
                 
 この上田城は家康軍が総攻撃をかけるが、少ない手勢で撃退した話とか,関ヶ原の戦いに行く徳川秀忠軍(3万5千)を

  真田昌幸、幸村の親子が2千5百の手勢で押しては引くと言う作戦で、6日間も徳川軍を足止めさせた、

    この戦いで秀忠は関ヶ原の戦いには間に合わなかった。    

 
 
 







築城年 

天正11年(1583) 築城者  真田昌幸 歴代城主  真田、仙石、松平 形式  山平城 
遺構  曲輪、櫓、復元門、堀、土塁 現状  上田城公園 ご案内   城跡の地図 駐車場  無料駐車場有



     
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