高取城
日本三大の山城の一つ
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奈良県(高市郡)高取町 |
2007/10/27
訪城 |
高取城は標高584mの高取山の山頂に築かれた、日本三大の山城一つである。登山コースは二キロほどであるが、
歩くみのやんとしても山頂まで歩くスタミナを考え車道で七ッ井戸迄行きそこから本丸はすぐや、二の丸〜三の丸と見て行くと巨大な石垣郡には
\(◎o◎)/!だ〜みのやんは雨の中をわが身が障害持ちなのを忘れ石垣の建物を想像しながら頭の中では、どんな城かなと巡らせていたわ、
十三間多門跡の石垣、天守台の石垣などはりっぱ!という以外に言いようがないわ、こんな山城いつ誰が建てたやぁ、と少し勉強…
元弘二年(1332)南北時代の南朝方の豪族越智邦澄によって築かれたと伝えられいる。
時代は下がり戦国時代なると越智氏滅び、大和郡山の城主の詰めの城として筒井順慶が高取城を大修築した。
天正十年(1582)本能寺の変で信長が倒れ、秀吉が明智光秀を破り天下取りへ〜
天正十三年(1585)豊臣秀長(秀吉の異父弟)が大和、和泉、紀伊三ヶ国の大守として入城した。
(筒井氏は伊賀上野へ移封)秀長の重臣の本多正俊に
命じ城の大改修をおこない、やがて本多氏の居城となった。
慶長五年(1600)徳川家康の会津上杉氏討伐に本多正俊が従軍して不在中、石田三
成の西軍松倉右近の攻撃を受けるが甥の正広が敗退させた。本多氏は、
関ヶ原の軍功により1万石を加増すされるが、後継の子が無かた為家は断絶。
寛永十七年(1640)植村家政が高取城の城主となり(2万5千石)以後十四代の居城と
して明治維新を迎える。
山頂の城跡からお天気の良い日は大峰三脈や吉野山など一望でき特に紅葉の季節はいいかも。城跡も適度の荒れ具合が良かった。
今日は生憎の雨の中を奈良盆地を眺めながら山を下りましたが、是非もう一度好天の日に訪れたい高取城跡でした。 城跡の地図
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