芳徳寺の山門の手前に城跡の碑が有ります、山に上がる前にカメラに納めた方がいいかも。登城道は整備され端側の道を
真っ直ぐ行くと主郭に着きます。 築城年は不明ですが、柳生氏が築城したと言われています。
天文十三年(1544)筒井順昭に対して山中衆と共に柳生氏も抵抗したが。総勢一万の軍勢にしろは落とされた。その後も
戦国末期まで山中四箇郷として団結し、筒井氏と古市氏との争いの影響を受けた。 松永久秀の大和侵攻で筒井氏は
衰退していった。柳生宗厳は柳生新陰流の祖:石舟斎となり、その子の五男は宗矩は徳川家康に仕え剣指南役となり
柳生藩を開いた。 |