城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)



 

  大和郡山城(やまとこうりやまじょう)

                                                                                                   
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                          大和郡山


郡山城水堀  地蔵様を使った石垣 


   この城跡はなかなかおもろいで〜電車道で(近鉄)分断されている所もあるが、追手門、櫓、天守台等は復元されており、
     
     天守台の石積みでお地蔵さま、までが使われており、逆さ地蔵とか説明板があったが、

     オゥ〜こんなのありか?と一人つぶやく…天守台外にも石垣は残っており、また水堀もありなかなか優美な所もあるし、

     現状は公園ですが公園の規模からして駐車場は無いにひとしいわ、追手門も前に10台?程のペースは有るが、

     先ず駐車場の案内板も無く仮に有ったとしても 解りずらいで〜城跡の案内板も解りずらいし不親切な大和郡山でした。

     でも城は見るだけ、歩くだけのみのやんの城跡としての評価は中の上やぁ〜楽しんだわ〜

     城跡内に柳沢文庫保存会館があり みのやんが行った時は{甲斐武田と柳沢氏}秋季特別展を開いていた、

     歴史音痴のみのやんは郡山城と言えば豊臣秀長しか頭に浮かばず、なに甲斐の武田?
  
     さっぱり解らん!入館して少し勉強してみるか…と貰ったパンフレットを見ると

     柳沢氏は甲斐の源氏の名門武田氏や一条氏の流れをくむ一族で甲斐巨摩郡武川筋の柳沢村から起こりました。

     つまり武田信玄と先祖は同じくしています代々武田氏に仕え忠勤に励んだとされています、

     武川筋に土着した柳沢、青木、馬場、横手、山高氏等

     十二氏は「武川十二騎」あるいは「武川衆」と呼ばれ武田氏と強いつながりで戦国時代を生き抜いてきました。

     その後武田氏が天正十年(1582)三月滅亡すると柳沢信後たち武川衆は徳川家康に仕えることになりました。

     信後の子安忠が徳川綱吉に仕え安忠の子が吉保で栄進を遂げて宝永元年(1704)には十五万石余りで

     甲府城主となりました。享保九年(1724)吉保の子である吉里

     甲府城から大和郡山城に十五万石で入封、柳沢六代の居城として明治維新を迎える。  なるほど!  
 
 
郡山城櫓  郡山城 
         奈良県大和郡山市     追手向櫓(復元)  2009/10/27   訪城
大和郡山城  郡山城 

 

築城年 

天正8年(1580) 

築城者 

筒井順慶 

歴代城主 

 柳沢 筒井、臣、
水野、松平、本多、
 

形式 

平山城 

遺構 

復元櫓・門、天守台、曲輪、土塁、石垣、堀 

現状 

郡山城跡公園 

ご案内 

無料駐車場有り 

  

城跡の地図 

       
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