城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)


 

  備中松山城びっちゅうまつやまじょう

                                                                                                   
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備中松山城






 

備中松山城
   岡山県高染市内山下      2007/11/23   訪城
備中松山城

備中松山城 

備中松山城 

備中松山城の登城で日本三大山城(大和高取城跡 美濃岩村城跡 備中松山城)は制覇した
                
日本一高い所に天守が現存する備中松山城は小松山山上に建つ天守の他二重櫓三の平櫓
   
土塀は当時ままの姿で健在である、大手門跡から見上げる石垣は雄大である、

天守の裏手に回ると巨石の上に建つ二重櫓と
               
樹木の間から見る天守、櫓の姿は文句なしの感動ものですみのやんはお城の周りを探索後、
  
天守の内部へ 先ず目を引くものとしては大きい囲炉裏である。山城の寒さがこれで解るわ…
                        
二階には御神棚がありやはり武将も人の子 最後の心のより所としては神頼みか… 
     
三大山城の共通点は積み上げられた石垣は圧倒されっぱなしのれ迫力満点、壮大、雄大                         
                                                                                                             
何も言うことなし 何度見ても飽きることなしやぁ〜
      
注意   
土・日・祝は手前の城見橋公園駐車場までしか自家用車は入れません。お城へは
    ここからバスに乗り換えて行く事になります。そこから15分も歩けば城跡です。




              
備中松山城は備中兵乱「天正二年(1574)」の頃は本城、現在の小松山に移され臥牛山一帯には
             
大松山をはじめ21の出丸が築かれ全山が一大要塞となっていった。毛利の番城時代を経て
         
慶長五年(1600)    関ヶ原合戦後は徳川幕府の支配下となり小堀政治が奉行に命じられた    
        
元和三年(1617)    鳥取城から池田長幸が入封するが世継ぎが無く断絶               
        
寛永十九年(1642) 水谷勝隆が備中松山城主となる。現在の松山城は勝隆の子勝宗によって
        
元和元年(1681) から三年の歳月をかけ築かれたものです、水谷氏も三代勝美(かつよし)が改易され、
                     
この城を請け取り任についたのが播州赤穂浅野家の家老大石 内蔵助である、
                      
内蔵助は一年近く番城としてとどまったようです。その後安藤氏二代石川氏を経て
        
延享元年(1744)  伊勢亀山から板倉勝澄が入封 以後板倉氏八代の居城として明治維新を迎える


 


           

   
                

備中松山城 

 

           岡山県高染市内山下                2岡山県高染市内山下 007/11/23   訪城
 

 




 


 
     


  
  城郭寺院  (松連寺他)
                                                      
 薬師院  
   





 一見すると城と全く変わらない壮大な石垣、何処から見てもお城のよう、
                           
でもお城では無いお寺さんです  この建物は一国一城制度のもと、
            
松山城の防衛のため、出城として作られたようです。(寅さんのロケ地になったお寺で有名です)                 
             
写真で見れば、そうと大きいなお寺さんに見えますが境内は余り広く無く逆に小さな感じが致しました。
               
写真では一つのお寺さんの様に見えますが? 三つのお寺さが並んで建っています。
                        
向かって左が薬師院 右が松連寺だったかな〜?


    
                  
城年  天和3(1683)  築城者         水谷勝宗  歴代城主  水谷、安藤、
   石川、板倉  
 
形式  山城 
遺構 現存天守、曲輪、
  石垣、土塁、空堀
現状の形態  城址公園  案内   城跡の地図      


   
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