この天守はお城と言うより外観はマンションの様に見えます(私だけかも?)
天守は昭和四十一年に再建されたもので中は
歴史資料館と成っております、天守と同時期に不明門(あかずのもん)と廊下門、
六十一雁木上門、城塀が復元されました
池田忠雄(ただつか)が建てた月見櫓は重要文化財に指定されております、
今も多くの巨石が残っており内堀や石垣、
櫓などはお城跡としても満させてくれます。近くには日本三大名園の一つ後楽園があります。
岡山藩主池田網政によって造園された。日本庭園なのに何故芝生が一面に敷いてあるの?
(これも私だけが理解できないかも…)でも後楽園から眺めると少しはお城らしく見えるような気がした。
でも城は見るだけ…歩くだけ!のみのやんは岡山城も十分に楽しみました。
少しお城の歴史でも見てみるか(@_@;)
天正元年(1573) 石山に城砦を築いた金光氏(この地の豪族)は上道郡沼城主であった宇喜田直家が
時の城主金光宗高を滅ぼし、岡山地石山に宇喜田直家が入城した。
天正十八年(1590) 直家の子秀家は父の遺領を継ぎまた豊臣秀吉の養子となり、秀吉の助言もあって石山
の東にある岡山に本丸を移し本格的に築城に向けてに着工した。
慶長五年(1600) 関ヶ原合戦に敗れた秀家は所領を没収され八丈島に遠流され替わって小早川帆秀秋
が入城したが、わずか二年で病死した。(小早川家は断絶する)
慶長八年(1603) 姫路城主池田輝政の次男忠継が入封、忠継亡き後は弟の忠雄(ただかつ)が淡路から入封
寛永九年(1632) 忠雄亡き後嫡子光仲が後を継いだが幼少のため鳥取に転封され替わって
鳥取城主池田光正が入封以後光正系譜の池田氏十代の居城として明治維新を迎える。
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