め
城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
©minoyan
目垣城
大阪府茨木市間垣一丁目
佛照寺 2012/04/15
訪城
が
き
目垣城跡碑 (佛照寺前にある碑はよほど城(歴史)に興味がある方しか、見つからないでしょう)
目垣の地は、古代から中世にかけて広くこの地を統裁していた溝咋の所領溝咋荘の内にあり、
溝咋荘の代表的な土地であったことから、この名が付けられたといわれています。
城跡に関する資料としては「大阪府全志」(巻三)溝咋村大字目垣本地古来嶋下郡に属し、
もと溝咋荘の内にして目垣村と称す。「摂津志」には本地に塁堡の址ありと記すれども今其の址は詳ならず。
「日本城郭体系」(第十二巻)目垣城:茨木市目垣、「摂津志」には山田十三城の1つとして目垣の名をあげるが、
位置・興廃年月とも不詳。
以上のように、この辺りに土豪溝咋氏の城館があったことが伺えますが、
その興亡や跡地を断定することは困難です。しかし、
溝咋氏は古代から、この地方に勢力のあった豪族で目垣を中心として館を造り、
塁堡も築いたことは当然考えられます。
その場所はおそらく安威川右岸育英橋を下った辺りであると考えられています。
茨木市教育委員会
佛照寺
弘長2年(1262年)勝光房西順の開基。
西順は俗名佐々木俊綱といい承久の乱後、高野山で仏門に帰し、
仁治2年(1241年)親鸞の直弟子になったといわれ、現住職は25代目にあたる。
築城年
不詳
築城者
不詳
歴代城主
目垣氏
形式 : 平城
遺構
何も有りません
現状
住宅街、寺
ご案内
付近で駐車不可