千早城

現在城跡には千早神社が建っています。登城口から石段を登り続けます、これはキツイで〜みのやんは30分程かけてやっとの思いで
四の丸跡に着きました、ここで初めて視界が広がります、ここには売店があり売店の人の話では階段数は550段くらい有るそうです、
お店の人は毎日この階段を昇り降りして40年間ほど通い続けているそうです。ここから参道を(350m)行くと本丸跡です、
今は社務所が建ち二の丸跡は本殿とか拝殿が建っています、三の丸跡に千早城跡の碑が建っています。ここでの最高の土産話は
山頂口の階段から眺める風景は最高です、関西空港や大橋 遠くには淡路島かな?などが見えて、
しんどい思いをして登って来て良かったと、みのやんは満足!

下赤坂城
この城跡は千早赤坂中学校の裏の所がそれにあたります。
大きな石碑が建っています、このお城もみのやんは碑が無ければ何処が城跡やぁ〜
城跡とは解りません…目に付くのは下赤坂の棚田です、日本の棚田百選の一つです。
絵に描いたような田舎風景は堪能できます。歴史的には千早城と余り変わりません。
元弘元年(1331 ) 京都を逃れた後醐醍工天皇は倒幕の旗印を立てて笠置山に挙兵するが、
鎌倉幕府の大軍に攻められて落城し後醐醍天皇は捕らわれの身となる、(隠岐島に流される)
河内の小豪族にすぎない楠木正成が後醐醍天皇を迎える為築城した
下赤坂城は落城し、ここは戦死したように見せて正成は金剛山山中に脱出した。
元弘二年(1332) 吉野で挙兵した護良親王の呼応した楠木正成は金剛山の中腹に千早城を築いて再起を伺う
元弘三年(1333) 吉野を攻略した鎌倉幕府軍は数万の兵を率て千早城に軍を進めた。待ち受ける楠木軍はわずか
千人の兵で櫓から大石や大木を次々と落とす奇襲作戦で幕府軍を混乱させ、この小さな城で戦いが
百日も続いたのは正成が知略の限りを尽くし幕府軍を翻弄しこの間 関東でも幕府打倒の動きが生まれ、
そして足利尊氏が京都六波羅深題を攻略。新田義卓の鎌倉攻めで鎌倉幕府は減亡した
建武元年(1334) 後醐醍天皇は隠岐島から京都に入り、天皇親政の建武の中興を行うが失敗に終わり、各地の武将
や武士の棟染と仰いだ、足利尊氏が後醐醍天皇に反旗を翻すと楠木正成は敗戦を覚悟の上、湊川
合戦に
出陣し尊氏に敗れ自刃(正成の激動の三年間は終わる)
延元元年(1336) 正成の死後半年で足利尊氏が室町幕府を開くことになる。千早城は正成死後は南朝方に味方した
楠木正行(まさつら)〜正儀〜正勝が拠点とするが…
元中九年(1392) 足利幕府の畠山基国らの軍により千早城61年間はここに落城! 城跡の地図
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