広大な城域を持つ浅井家の小谷城に先ずビックリしました。堅堀、掘切、郭の広さなど、
素人のみのやんでも、城跡の探索に来たんだぞと
実感致しました。頭の中には現在この地域に建造物の想像が浮かんでは消えパニック状態です。
説明板も至る所に有り、よく整備された城跡です。
そうそう説明板と言えば、熊!出没注意の看板も有りましたが、
残念…か幸いか熊さんに出会うことも無く下山致しました。
略史
大永3年(1524) 十五代当主京極高清の家督争いの時、
在地領主の浅井克政が京極氏の重臣上坂信光を排除し、京極氏に替わって江北の実権を握った。
大永4年(1525) 浅井克政が主家京極高清を京極丸に迎え、この頃小谷城は築城されたと言われている。
永禄4年(1562) 浅井長政は織田信長の妹のお市の方を娶り同盟関係結んだが、
越前朝倉氏とも同盟関係にあった。
元亀元年(1570) 信長の越前朝倉攻めに際し浅井氏は信長に反旗を翻し、
同年、姉川の戦いで織田、徳川連合に敗れ
天正元年(1570) 小谷城は落城、浅い長政は自刃し、浅井家は滅亡した。
その後、江北12万石は羽柴秀吉に与えられた。
天正3年(1573) 秀吉は今浜の地に新しい城を築城し長浜城と称し、小谷城は廃城となった。
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