城は見るだけ…歩くだけ!  (日本の城郭)

  
  
 
  
 
    
     勝間田(かつまたじょう) 
         
                                  
 
 静岡県牧之原市(榛原町)勝田2160−5                2012/11/17 訪問
         
  
      主郭にも土塁があって城址碑や説明板が設置されています。   

  二の曲輪には礎石建物や掘立柱建物の説明と簡単な復元がして有ります。 

    三の曲輪へ入ると土塁が目に飛び込できます。       
    

   
     

                       

                                               
           
    勝間田氏は、この地方を本拠とする豪族で、勝間田平三成長は鎌倉幕府のご家人となり、

   その子孫の長清は「夫木和歌集」を編纂している。元弘の乱(1331)には、

   河内(大阪府)の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と

  守備側の両陣営に分かれて参戦した。室町期に入り、

   将軍の直属軍として応永の乱(1399)や永享の乱(1439)に
 
  活躍し、応仁の乱が起こるや今川氏と対立、

   今川義忠の猛攻の前に文明8年(1476)遂に落城し、

  一族は四散した。応永年間に勝間田定長が築城したといわれるこの城は、

   牧ノ原台地に連なる尾根を巧みに利用し、

  南東部の尾根には田の城跡に例を見ない鋸状の堀切が残っている。

   文明8年の落城後、この城が再び使われたとする記録は見あたらないが、

   遺構からはその後手が加えられた形跡が認め られる。              

   
 

                       
          
 


   
 



     
築城年  鎌倉時代  築城者  勝間田氏 歴代城主  勝間田氏 形式   山城 
遺構  曲輪、土塁、空切  現状  山林  ご案内  城跡の地図 無料駐車場有り  

       
         
    
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