このお城は峰須賀正勝を初代として十五代の居城として続き、正勝は元々尾張の野伏の
首領で小六と称した、織田信長の岐阜攻めに木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が墨俣城を築く
時に小六の助力によって築くことが出来た、世に言う一夜城である。
これを機に藤吉郎と小六の出世街道が始まる、
天正十三年(1585)秀吉の四国征伐で永宗我部氏は土佐に追放され、
秀吉の家臣となった峰須賀正勝(小六)阿波一国を与えたが、正勝は老いたる身故
子供の家政に与えられように申し出て、家政には阿波一国十八万石の大名になった。
天正十五年(1587)には早々完成それは秀吉の命により
伊予の小早川や土佐の永宗我部元親、比叡山の僧呂などの支援を受けたため、
元和元年(1615)大坂の陣の軍功により淡路一国を加増された
峰須賀至鎮(よししげ家政の嫡男)は
二十万石の大名となりその後峰須賀十五代の居城となった。峰須賀家は信長、
秀吉、家康と三代の時代を生き抜いた。下克上の大名といえる。
徳島城跡は現在は徳島公園となっており、堀、石垣、庭園等が残っています、
山麓の御殿跡には城博物館が建っている。
峰須賀家に伝わる品々が展示されており、ゆっくりと景色を楽しみながらの散策はみのやんのお薦めなり。
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