四国八十八カ所十五番札所・国分寺の北西500メートル、
西方から突出した、気延山と呼ばれる丘陵の標高28メートルの尾根先端に位置する。
南山麓には阿波史跡公園があり、矢野の古墳や宮谷古墳(気延山古墳群)等の遺跡が広がっている。
西方の尾根続きに空堀を掘り、その堀を傾斜の比較的緩い南側へ回している。
城内は東西約60メートル、南北約25メートルで、必ずしも整地された曲輪ではない。
所々に気延山古墳群の破壊された跡などもある。
築城年代は不明だが永禄年間(1558年-1570年)に矢野国村が築いたとされる。
天正7年(1579年)12月、脇城下で三好康俊・武田信顕らの謀略によって、
矢野国村は三好軍と長宗我部軍との狭撃に遭い、討死した。
それ以降の矢野城の経緯については不明である。 |
築城年 |
不明 |
築城者 |
矢野氏 |
歴代城主 |
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形式 |
丘城 |
遺構 |
説明、石碑が建つ |
現状 |
城山神社 |
ご案内 |
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駐車場 |
無料駐車場有 |
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