足利氏館は現在は鑁阿寺ですが、寺の周囲は水堀に囲まれ建存物も色々と残っており、こまく見て廻れば半日はかかるかも?
八幡太郎義家の子:源義国が開発した私領を寄進したのが足利荘と言われ、義家の孫:義康が足利氏の姓を名乗り、足利荘に
居館を構えた。二代目義兼は源頼朝の挙兵にいち早く応じ、北条時政の娘を娶り、足利荘を安堵され、鎌倉時代の名族となす。
建久六年(1195) 義兼は出家し、法名を鑁阿と称し、翌年邸内に持仏堂を建て、三代目:義氏が堂塔伽監を建立し、足利一門の
氏寺とした。この持仏堂が現在に伝わる鑁阿寺です。宝治二年(1248)義氏が寺院として規模を整え、館から寺へ変貌した。
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