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          | 荒山砦は標高486mの枡形山に位置する。初めは石動山天平寺の出城だったが、
 戦国期に阿尾城主・菊池氏が守った。
 
 天正5年(1577)、上杉謙信の能登侵攻の際、能登守護畠山氏が入った。
 
 天正10年、本能寺の変で織田信長が没したのを機に、
 
 石動山衆徒は越後の上杉景勝に支援を求め、畠山の遺臣・温井備中守景勝と
 
 三宅備後守長盛の両氏と共にこの荒山砦に籠った。これに対し、
 
 羽柴秀吉は前田利家に石動山攻略を命じ、利家は3千の兵を率いて
 
 石動山と枡形山の中間に当たる芝峠に布陣した。そして、
 
 荒山砦普請に向かう温井・三宅軍を急襲し、これを破った勢いに乗じて砦を攻め、
 
 荒山砦は陥落した(荒山合戦)。この合戦に勝利した利家軍は翌日
 
 一気に石動山院に攻め入って火を放ち、石動山の堂塔伽藍はことごとく焼き尽くした(石動山合戦)。
 
 その後、越中一国を制圧した佐々成政の出城となったが、
 
 天正12年、前田氏との戦いにて守兵が撤収し、前田氏の拠点となった。
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          | 山頂は雑草が茂って足の入れ場も無く、
 長椅子が雑草に埋もれ背もたれがかすかに見える状態で、
 
 雨の中やって来た我々は残念でした。
 
 子供たちの夏休みの期間ぐらいは、少し整備を御願い致します。宜しく
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          | 築城年 | 戦国期 | 築城者 | 石動山天平寺 | 歴代城主 | 石動山,菊池,温井,三宅,佐々,前田 | 形式 : 山城 |  |  
          | 遺構 | 曲輪、土塁、空堀、堀切 | 現状 | 城跡公園 | ご案内 | 城跡の地図 | 無料駐車場有り |  |  
 
  
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