城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
別称 稲見城
瑞泉寺3代・蓮乗が、 土豪や武士団との抗争が激しかったため、 文明16年(1484)頃、本願寺護法のため 瑞泉寺の旧地に塁濠を築き、 越中一向一揆の拠点とする城廊を構え 井波城と称した。 天正9年(1581)、瑞泉寺7代・顕秀の時、 富山城主佐々成政と戦い、 堂舎・町屋をことごとく兵火に罹り落城した。佐々成政は井波城を大改修して、 家臣前野小兵衛勝長を守将としたが、 天正13年の豊臣秀吉の佐々征伐のとき、金沢城 前田利家に攻められ落城し 井波城は前田氏の持城となったが、やがて廃城となった。