城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
南北朝期、普門(井上)俊清が築城したといわれるが、 椎名氏が築城したとの説もある。越中守護・畠山氏の守護代として、 神保氏・遊佐氏・椎名氏が新川郡を支配した。応仁の乱後、 神保氏と椎名氏は畠山氏の勢力が衰退したため独立を狙うが、 畠山氏は長尾氏に攻められ長尾氏に属し、 椎名氏も神保氏と対抗するため長尾(上杉)氏についた。 永録3年(1560)、神保長職は、武田信玄・越中一向一揆と結んで松倉城を攻めたが敗退した。 椎名康胤は上杉謙信に援軍を求め、神保長職の本拠・増山城を落とし、 神保氏は滅亡した。永禄11年、椎名康胤は武田信玄の誘いに乗り寝返ったため、 謙信は松倉城を攻め椎名康胤を追放した。その後、 松倉城には上杉氏家臣・河田氏などが入ったが、 天正10年(1582)織田信長の越中侵攻後、佐々氏、前田氏の属城となった。 慶長年間(1596-1615)廃城となった。
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