富山城はまさに平成が生んだ城郭です、模擬天守の中は富山市郷土博物館です。
現在も(2009/05)城郭は整備増設されています。
富山城は城跡(遺構)としてはイマイチ面白くなく…でも堀越から見るお城の姿は
なかなかみのやんを楽しませてくれました。
天文十二年(1543) 水越勝重が築城した。勝重は神保長職(じんぽながもと)と改名、
その後は神保氏が三代続いた。
天正四年(1576) 越後
春日山城主:上杉謙信が富山城を攻略した後、
家臣の小笠原長隆:上杉信定を置いた。
天正七年(1579) 織田信長が越前小丸城主:佐々成政を富山に封じたが
天正十五年(1587) 秀吉による九州征伐後は、成政は肥後熊本城へ転封となった。
慶長五年(1600) 関ヶ原の戦いの戦功により、金沢城主:前田利長は加賀:能登:越中の
三ヶ国120万国の大大名となる。
慶長十年(1605) 利長は隠居して富山城に移った。
慶長十四年火災により焼失したため、高岡城を築き移った。
寛永十六年(1639) 前田利常(三代目)は次男:利次に十万石を与えて
分家させ、富山城を修復し
寛文元年(1661) 前田利次が富山城に入城して、富山藩が成立した以後は
前田氏13代が続き明治維新を迎える。 |