和歌山城は標高49mの虎伏山に築かれ、城は見るだけ…歩くだけ!のみのやんにとって最適の城である、
石垣を見て歩くのも良し、堀を眺めて歩くのも良し、城内に入ると直ぐに西の丸庭園があり
紀伊徳川家頼(初代)が造園したと言われる大名庭園で
昭和48年に復元された。天守までの道は表坂と裏坂、新裏坂がある。表坂はよく整備されております。
それより往時の面影を残す裏坂、新裏坂がおすすめです,その方が色濃く残り城ファンは楽しいと思います、
この城の歴史を少し勉強…
天正十三年(1586)豊臣長秀は兄の秀吉の命を受け和歌山城を築いたが完成を見ず
また和歌山の地を踏む事無く大和郡山にて病死。
天正十四年(1587)秀長の家臣である桑山重春が城代として入城、在城十四年間の間
城の本の丸部分を築城したと言われています
慶長五年(1600)関ヶ原の戦いで軍功のあった浅野幸長が37万6千石で入封
桑山氏は大和布施に転封された、浅野氏は19年間在城間に基礎となる築城工事を行なった。
元和五年(1619)浅野氏は広島に転封され、徳川家康の十子頼宣が五十五万四千石で入城以後は
紀伊徳川の居城となり二百五十年の紀伊徳川の歴史が始る。
城跡の地図
|