略歴
文明10年(1478)以降、武藤氏(大宝寺氏)が一門格の砂越城主砂越氏に対抗するため築城したといわれる。
天正11年(1583)、最上義光が武藤氏の本城尾浦を攻めた際、東禅寺氏は最上氏と結んだため、
武藤義氏は自刃へと追い込まれた。
その後、最上氏が支配したが、のち武藤氏を支援した上杉勢が進み、最上氏はこの地を追われた。しかし、
慶長6年(1601)、最上氏が再度攻略した。
元和8年(1622)、最上氏の改易により、信濃松代の酒井忠勝が入った。
その後、酒田は庄内藩の治めるところとなり、一国一城にも関わらず、鶴ヶ岡城と亀ヶ崎城の二城が認められた
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