天文16年(1547年)野辺沢(延沢)薩摩守満重によって築かれたと云われる。
野辺沢氏の出自は詳らかではないが天童氏に従っており、
満重のときに野辺沢城を築いて本町館より移ったとされる。
満重の子が野辺沢(延沢)能登守満延で、
天正12年(1584年)嫡男又五郎(後の光昌)に最上義光の娘松尾姫を迎え、
最上氏に従ったことから天童氏は滅亡した。
天正19年(1591年)満延が没すると光昌が家督を継いだ。
野辺沢(延沢)遠江守光昌は長谷堂城の戦いや庄内退治などに参加し、
二万石を領したが、
元和8年(1622年)最上氏が改易となると肥後国熊本藩加藤氏にお預けの身となり、
熊本にて病没した。
最上氏に代わって鳥居氏が山形へ入部すると家臣の戸田玄蕃が城番として延沢城に入ったが、
寛永7年(1667年)に廃城となった。
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