左の写真を見て頂いた通りこの様な頑丈な鉄柵で囲まれた入口から
入山するには、みのやんも少し腰が引けましたが、
熊も来るならこいの思いで、いざ登城!
登り始め15分たらずで、主郭に着きました。
あのゲートはなんやぁ〜 と
思いますが常々警戒心を忘れず!
何事も注意はらい楽しい城廻をしましょう
略史
甲斐源氏逸見源太清光の子:信義が生地逸見から分封して、武田庄の庄管となり、
武田八幡宮で元服して、武田氏を称した。信義は武田に居館を構え、白山城を築いた。
鎌倉幕府創業時の功労者であったが、源氏頼朝からは遠ざけられ、
文治二年(1186) 失意のうちに死去し、一時は館、城は荒廃した。その後は武田の一門
一条氏、その支族武川衆の青木氏、青木氏から分派した山寺氏が相次いで守った。
天正十年(1582) 信長に武田は滅ばされたが
信長が死去すると、武田遺領を巡り徳川と北条があらそった(天正壬午の乱)。
そのさい武川衆は徳川に従い、北条への備えとして
修築した。江戸初期の寛文年間(1661-73)廃城となった。 現地の説明板より
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