八月も間も無く去ろうとし、今年の夏は雨が多く今日もイマイチのお天気ですが、
城!馬鹿親爺は二年振りに山梨県に入り、
今日も山城を悪い足を引き連れてさまよっています。山梨県と言えばぶどうの産地で有名ですが、
ここ新府城の辺りは桃畑が多いのには少しビックリ!何所の山城も同じですが、
山頂か望む風景はいっも心を癒してくれますが、
新府城跡の景色は山また山の美しさは、重たい足も軽くさせてくれます。みのやんはこれだけで大満足。
でもこの新府城は霊感スポットとか… ほんまか〜? ほな ほんの少し略史を
天正三年(1575) 長篠:設楽ヶ原合戦で敗れた武田勝頼は、
一門の穴山信君の進言で七里岩に新城を築くことを決めた。
天正九年(1581) 勝頼は真田昌幸に命じ新府城を築いた、
築城開始から九ヶ月後まだ未完成の城に勝頼は入り
その3ヶ月後、信長の甲斐国の侵攻が開始された。その上、穴山氏、木曹氏の寝返り、
勝頼の弟:仁科盛信が守る高遠城が落ちた為、勝頼は新府城に火を放し、
小山田信茂の岩殿城を目指したが、
途中で信茂の裏切りを知り、勝頼は天目山で嫡子:信勝共々自刃した。
これで名門武田家は新羅三郎義光から二十八代続いたが
ここで滅亡に至る。
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