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躑躅ヶ崎館
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山梨県甲府市甲府中町 別称 古城 |
2007/8/25
訪城 |
館跡は現在は武田神社になっており(大正八年に創建)信玄を祀っている人は城 人は石垣 人は堀
情けは味方 讎(あだ)は敵なり、有名な信玄の句で。信玄には城も石垣も無く小さな館で十分であったと
言われていますが。躑躅ヶ崎館はただの館とは言いがたい。現存する遺構や
古地図を見ると、土塁や深い堀がめぐらされ、十分堅固の物でした。城と言ってもほぼまちがいが無いと思いす。
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そもそも周囲を山に囲まれ扇状地に建てられており地形的には一つの城郭
のものであり、さらに北東には石水寺城と言う山城が付属していて、非常時の
時は立て籠ることが出来るようになっている。信玄は城を築かなかったは
城と呼べるだけの防御施設を、すでに手にしているからだと言ってもよい。
「人は城、人は石垣」通説が広まったは、信玄が家臣の心をつかむために、
「城よりお前たちが頼りだ」というセリフが、誇張されて伝わった為だろう。
甲陽軍鑑の人は城の歌は、後世の創作の可能性もある。
略史 武田神社ホームページ
永正十六年(1519) 武田信虎(信玄の父)が三方を山に囲まれる地に築き武田氏三代の居城となる(63年間)
天文十年(1541) 武田信玄は父信虎を今川に追放して甲斐の国主となる
近隣諸国を攻略し越後の上杉謙信とは川中島で戦うこと数回
天正元年(1573) 信玄は上洛を志し織田信長と決しようとして三河の野田城攻め中途病死
天正三年(1575) 三代目勝頼は長篠の戦いで織田軍に敗れる
天正九年(1581) 躑躅ヶ崎館から新府城に移るが勢力を取り戻すことは無く信長軍撃破され
天正十年(1582) 天目山で自刃した 武田氏減亡後は躑躅ヶ崎館には徳川家の家臣が入った
文禄三年(1594) 甲府城が完成すると共に廃城となる
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