承年間(1177〜81)
尾張の源氏の流れをひく足助重長が築城したと言われている。
以後平安末期から南北時代にかけて足助氏の居城となる。
足助氏七代重範は南朝方につき、
足利尊氏の天下となった興国年間(1340〜42)に
東国に去り城は落城戦国時代になると西三河山間部に
勢力を持っていた鈴木氏が真弓山に連郭式の山城を築城した。
初代忠親から五代の居城となり、
この城を中心に6つの支城を築き足助七城と呼ばれていた。
元亀二年(1571) 鈴木氏は武田信玄の配下に入るが
天正三年(1575) 武田勝頼が長篠の戦いで大敗すると松平元康(後の徳川家康)
に攻められ、その軍門に降った。
天正十八年(1590) 秀吉の命により家康は関東に移ると鈴木氏も家康に従い
足助城を去るが後に鈴木氏は家康からさり浪人したと言われている、
現在は城跡公園として整備されており、復元(櫓、長屋、物見台、柵等)されている
建物は鈴木氏時代の物らしい、高櫓からは足助の町並み、
三河と尾張に続く街道などを望む事ができます。また近世城郭と違い復元されている
建物はかなり楽しめると思います。
みのやんのお気に入りの城跡です!
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