112,000m²ある一帯からは、多くの掘立柱建物跡や、巨大な堀、橋、道、園池、屋敷群跡、10トン以上のかわらけ(土器)、 中国産陶磁器、常滑産や渥美産の陶器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒などが出土している。
柳之御所は、奥州藤原氏初代清衡が豊田館(奥州市)から平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、 三代秀衡が再整備を行ったとされる。『吾妻鏡』の記述にある奥州藤原氏の政庁・平泉館(ひらいずみのたち)の跡と 考えられる。 中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営された。 文治5年(1189年)、源頼朝の28万余の大軍に攻められた際に、藤原泰衡が自ら火を放ち炎上した。
12世紀前期 元号一覧
藤原清衝
土塁、堀、建物跡