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松坂城 |
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三重県松阪市殿町 |
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2010/03/22
訪城 |
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別称
四五百城 |
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松坂城の写真のスライドショーはここをクリックして下さい。
現在の松坂城は石垣が残っており建造物は有りませんが、松坂公園として整備されております。近年武家屋敷など整備されました。
松坂城の石垣は二の丸跡と上段、下段にわかれてた本丸跡の石垣は三重に重なり見応えは十分あります。 城跡の地図
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下記の左の2枚の写真は宣長記念館入り口です(城内にあります)宣長愛用の品々や自筆稿本が多数展示されています。
右2枚の写真は この土蔵は江戸末期に場内の隠居丸に建てられた物で明治初期に苗秀社に払い下げられて現在地に移築
されたと言われてる。このことが事実ならば、松坂城関係の建物としては、唯一の現存する建物となる。
2009/03/10
松坂市教育委員会 説明板より
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現在の松阪城跡は松阪公園となっており、建物は何も残っていません、残っているのは石垣のみです、
これが見ごとな石垣です、これが天守の石垣?これが○○櫓の石垣と 考えながら散策していると時間も忘れます、
春の緑は見事で充分に目を楽しませてくれます。みのやんのおすすめの城跡です!
天正16年(1588)
蒲生氏郷が突貫工事のうえの完成。築城に当り領内の寺社を取り壊して資材を転用したと言うわれている。
天正18年(1590) 蒲生氏は小田原攻めの軍功により会津に転封。替わって服部一忠が城主となった。
文禄4年(1595) 吉田重勝が城主となった。
元和5年(1619) 徳川家康の八男頼宣が和歌山城主となり南伊勢は紀州徳川の領となり松阪城は城代が置かれた。
正保元年(1644) 台風で三層天守は倒壊その後二の丸に紀州徳川御殿三の丸に城代役所が置かれた。建物は明治時代に取り壊された。
武家屋敷 |
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日本100名城(東海地区)へ
2007/6/11
訪城致しましたが2009年再度訪問 友が松坂肉を賞味したいと
提案があり、一様採り入れて三重県の城廻となりました。 |
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