寛弘7年(1010年)井伊共保によって築かれたと云われるが定かではない。
井伊氏は藤原氏の末裔を称し、
遠江国司の藤原共資の子共保が井伊谷に澄んで井伊氏を名乗ったことに始まるとされる。
南北朝時代には井伊道政は後醍醐天皇の皇子宗良親王とともに三岳城に籠もり南朝方の拠点となったが
北朝方の高師泰・仁木義長らに攻められ落城した。
その後、井伊氏は今川氏に属し永禄3年(1560年)桶狭間合戦では井伊直盛が討死している。
家督を継いだ井伊直親は永禄5年(1562年)今川氏真に謀叛の疑いをかけられて朝比奈泰能によって討たれた。
この直親の子が後に徳川氏に仕え徳川四天王の一人に数えられた井伊直政で、
江戸時代には彦根藩主となった家系である。
引佐町多目的研修センターのおじさんにお城説明も聞き
色々お話を聞かせて頂き有難う御座いました。
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北側がやや高くなり御所丸と呼ばれる
築城年 |
寛弘7(1010) 元号一覧 |
築城者 |
井伊共保 |
歴代城主 |
井伊氏 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、土塁 |
現状 |
城山公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
引佐町多目的研修センターで可 |
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