城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)




掛川城

          静岡県掛川市掛川
             2006/06/03訪城                 

掛川城隅櫓

     掛川城  


大手門と番所

          

        



                 平成六年に木造の天守が再建され城跡は掛川公園として整備されています、その他にも 近年に復元された大手門・三日月櫓等

                見所はたくさんあります。先ず再建された天守の内部は昔ながらの急な階段。
 
                張り出した部分には石落しも再現され当時を偲ばされてくれます掛川城の見所は二の丸御殿(重要文化財)です

                御殿は公的な場藩主の公邸、政庁と3つの機能を備えた書院造りで二十の部屋に分かれています、

                部屋は見学出来ますが中でも藩主の主室の上の間には畳が敷いた「床の間」と違い棚、

                付書院と言う障子窓があり書院造り代表的と言われています。

御殿   別称
 雲霧城
天守内部 
御殿内部    掛川城内部 

             天正十八年(1590)   秀吉により山内一豊は長浜から5万石与えられ掛川城主となる、一豊は傷んだ掛川城を大修築し
                                  三層四階の天守を築き近世城郭に造りあげました。
                            
             慶長五年(1600)     関ヶ原の合戦では山内一豊は家康に味方したため、土佐一国を与えられた、
                                              その後は松平氏・安藤氏・小笠原氏など交替 
   
             延享三年(1746)     大田資俊が入封以後太田氏七代の居城として明治維新を迎える 

          世に有名な小山評定では豊臣家恩顧の一豊が{西に進軍するうえで支障なきよう、掛川城と町をそのまま家康殿に明け渡しお味

              方申す}と言う一声で、他の大名も従った。この一声によって、関ヶ原の合戦では軍功も無かったものの土佐一国大守となる。
  
                            この発言も正室の千代の内助の功と言われています、 城跡の地図
       

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