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主郭の周りには
空堀が巡っている様に見あえましたが?
その主郭が大きくて広い、
主郭に小さな社がありその周りに
お坊様(小さな瀬戸物)が
囲み少し不気味でもあり…
微笑ましい感もいたします。
築城の年代は明らかでない。鎌倉時代より、
武藤氏がこの付近に住んでいて、同氏の居城
であったといわれる。天亀・天正のころ(1570-92)
武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して、小国神社
にたてこもったので徳川家康に攻略された。
その後、再び武田氏に属して高天神城に行き
家康に滅ぼされた。武藤氏の子孫は城東群
亀甲村(小笠郡)に居住したといわれる。
(現地説明板より)
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