駿府城
NO1
2008/8/10
訪城 (別称)静岡城
ほとんど何も無い城と思いきや、門や櫓等復元されており、良く整備された城です。
約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職命じられ以降、駿河は今川氏に
よって治められました。今川氏全盛期ころ今川義元の元に徳川家康は7歳〜18歳迄
人質として駿府に暮らしました、
永禄3年(1560) 今川義元が桶狭間の戦いで信長に討たれた後、
今川氏は急速に衰退した。
永禄11年(1568) 今川氏は武田軍に攻められ駿府を追われました。
天正10年(1582) 徳川家康が駿府の武田氏を追放した後、
同年13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松から移りました。
天正18年(1590) 豊臣秀吉により、家康は関東に移封され、替わって中村一氏が城主となる。
慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いで勝利した家康は 慶長8年(1603)征夷大将軍となり江戸幕府を開く、
慶長10年(1605) 将軍職を息子秀忠に譲り、同12年(1607)に大御所して三度駿府に入る。
この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な城として生まれ変わった。三重の堀を巡り、堀に囲まれた曲輪を内側から
本丸、二の丸、三の丸、する、輪郭式の縄張りとなった。 (静岡教育委員会 説明板より)
城跡の地図
静岡県静岡市葵区大手町
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