現在は湯築城後は道後公園となっています
中世の伊予国守護河野氏の居城、南北時代(14世紀前半)から戦国期(16世紀末)で
二百五十年以上にわたて軍事、文化の伊予国の中心でした。
城跡は南北350m東西300mで中央の丘陵があり周囲は二重の
堀と土塁を巡らせた平山城です築城当時は丘陵部を利用して山城でしたが
16世紀前半に外堀と外堀土塁を築き現在の形状になったものと推定されております。
発掘調査の結果、西側では建物の周囲は土塁で囲み
家臣団の移住区、東側では広い区画内に庭園区をともなう上武士移住区が発見されるなど
城内の機能や格式によって使い分けていた様子が明らかになったそうです。
公園内には武家屋敷がNO1 NO2と復元されており湯築城資料館もある
資料館では出土遺物等が展示されています又河野氏の
歴史などがパネルや映像で紹介されています。
略史
天正十二年 四国統一目指す長宗我部元親氏に
二百五十年以上続いた河野家も軍門に降った
天正十三年 秀吉の四国征伐が始まると秀吉の命により
小早川が伊予に進行、河野通直は城を開城して
秀吉の軍門に降り、河野氏は減亡した
湯築城は小早川氏に与えられた
天正十五年 小早川氏は筑前名城に移封替わって福島正則が入封
正則は居城を府中に移し湯築城は廃城ちなった。
みのやんは資料館を見て、武家屋敷跡等見学し散歩を楽しみましたが、
気軽な散歩コースとしては最適かも…
湯築城跡NO2
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