この城跡も観光用にそうと力を入れ整備:修復:復元されており、
今日も雨の中、多くの方が見学に来ておられました。
本丸石垣も復元されなかなか見応えがありましよた。
櫓台もあり、ここからの眺望は天気の良い日は最高だと思います、
生憎!今日は大雨で下の写真しか撮れませんでした。
ここまで整備されていますので楽しく見学が出来る城跡と思います。 では略史
応永二一年(1414) 奥州探題の畠山満泰によって築城。以後畠山氏九代が居城した。
天正十三年(1585) 時の城主畠山義継が伊達正宗の父耀宗を拉致し、
阿武隅川畔の「栗の巣の合戦」で正宗により照宗、義継共々射殺され
城は正宗の攻撃を受け落城した。その後は伊達領として、
片倉景綱、伊達戊実が城代として入った。
天正十八年(1590) 秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷の支配下になり、
その後会津入封に従い城代が置かれた。
寛永五年(1628)
加藤明利が城主となりるが、二〇年が加藤氏の領地返上により、
白河小峰より丹羽長重が十万石で入封した。
後の城主光重は十年掛けて城を山j城を廃し山麓に
城館を築き近代城郭の体裁を整えた。 以後十二代続き明治を迎えた。
慶長四年(1868) 戊辰戦争で、新政府軍との徹底抗戦により、城内、家中屋敷の全ては焼失した。 |
築城年 |
応永21(1414) |
築城者 |
畠山満泰 |
歴代 |
畠山、伊達、蒲生、丹羽 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀、復元門、
復元石垣、井戸 |
現状 |
城公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
有料駐車場有り |
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