小早川氏の祖、土肥実平・遠平父子は、源頼朝の平氏追討に当たって終始勲功をたて、
はじめ備前・備中・備後の三国の守護の地位を与えられたが、安芸国沼田荘(沼田川流域一帯、蓮華王院領)
の地頭職を得ると一族あげて相模国から西遷して来た。
鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城であったが、
沼田小早川家を継いだ隆景は、これまで高山城の副塁であった新高山城の大改修を行い、
天文21年(1552年)にここに本拠を移した。
以来慶長元年(1596年)に三原城に移るまでの45年間、この新高山城が小早川氏の本拠となった。
この城郭は、標高197.6mの新高山城の天嶮を利用した山城で東西400m、南北500mの全山を城塞としている。
山頂尾根を削平した本丸、二の丸、三の丸など各種の郭は60余に及ぶ広大なもので、
城主や家臣の居館を山上にあげた中世山城から近世の城郭への過渡期を示す城郭である。
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新高山城跡は説明板も確り表示されており。未熟のみのやんは大感激その上、山頂には新高山城、高山城の
音声案内機も設置され、眺望を眺めながら案内を聞きいっていました。中々しんどい城跡や〜 でも
この城跡は誰もが来て良かったと思われます。みのやんは大満足!
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築城年 |
天文21(1552) |
築城者 |
小早川隆景 |
歴代城主 |
小早川氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪,土塁,堀切,竪堀,畝状竪堀,横堀,石垣,井戸 |
現状 |
山林 |
ご案内 |
無料駐車場有り |
城跡の地図 |
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