城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
この様な城が 安土の地、聳え建つていたんだろう…
天主跡 背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北それぞれ28mの台地に 今は礎石が1.2mおきに整然と並ぶだけであるが、 この部分は天主の穴蔵(地下の部分)にあたり)その上に五層七階の天主がそびえていた。 高さ33mの木造高層建築は わが国で初めてのものである。内部は信長公の御用絵師:狩野栄徳の豪壮な障壁画や装飾を配した。 羽柴秀吉は安土城二の丸跡に大刀、烏帽子、 直垂などの遺品を埋葬して本廟とした。そして六月二日の一周忌には 織田一族や家臣を集め、盛大に行なった。 お城のパンフレットより
天正四年(1578) 信長公が他所より移築し安土城本丸の西方の峰に自ら菩堤寺にしたと伝えられている。 安政元年(1854) 火災により本堂などほとんどが焼失、本堂は今は右の写真のごとく礎石のみ残っている。三重塔 天正三〜四年に信長公が甲賀の長寿寺から移築したものとされている。 城跡の地図 建立:亭徳三年(1454)二王門 信長公が天正年間に甲賀から移した。 お城のパンフレットより