城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)



津和野城 





城 

津和野城 
    島根県津和野町後田     中世の城郭 2009/08/08  訪城
津和野城 

 別





津和野城からの眺望 


  みのやんは鼻歌街道の山城で   (比212m)もあるのに?

  この山は,山頂までリフトが有ります、

リフトを降りて五分程で城跡行けます。

この城跡は石垣もアチラコチラとたくさん有り

大興奮状態でした。眺望は  
   
言うまでも有りませんが、眺めているまさに  
  
みのやんも天下人の野望が芽生えて来る感が致します
.


津和野城 



 
永仁三年(1295) 鎌倉幕府から西石見の海岸線防備を命じられ、

  能登より移り住んだ吉見忠行が築城した。

 天文二十年(1551) 陶晴賢が大内氏を自刃に追いやると、

        九代正頼は大内義隆の姉を娶っている事もあって、

        大内義隆:陶晴賢と

   対立した。大内:陶氏滅亡後は、吉見正頼は毛利元就に従ったが 

 慶長五年(1600)  関ヶ原合戦後は毛利氏は萩に減封となり、

        11代広長は長門萩へ移った。替わって坂崎直盛が越前富山

 四万石で入封し、城をだい修復したが、十六年後に改易となった。

 元和三年(1617)  亀井正矩が因幡鹿野から四万三千石で入り、

            以後は亀井氏十一代続き明治維新を迎える




 
津和野城  津和野城 



       
                                                                      日本100名城(中国山陰地区)へ

          ©minoyan   |  ホーム 自己紹 |  100名 | ンホール |  ログ |    PART2(日本の史跡) |